介護職の本音体験談:きつさを乗り越えるための心構え

30代男性介護職は国や世間が思っている何倍も酷い状況でした‥

初めまして私は都内在住の男性です、私が介護の仕事をしていた時の体験談をお話しさせて頂きたいと思います、宜しければ最後までお付き合い下さい。

私は2006から2010年までの4年間都内某所の老人介護ホームで派遣社員として介護の仕事をしていました、私が何故老人ホームで介護の仕事をしようかと思ったかというと、日本は将来間違い無く高齢社会になり高齢国になりこの仕事は需要が高まると思ったからです。

イヤらしい話ですが‥要するに仕事が切れないと思ったからです‥、しかし私にも生活があり生きて行かなければなりませんのでおいしい職業には就きたいと思ったのが正直なところです、ですが実際に介護の仕事に就くと現実は甘くはありませんでした‥。

まず私が任された仕事は老人ホーム館内の清掃とホーム入居者の衣服の洗濯やオムツ等のゴミの始末でした、この作業はハッキリ言って簡単でしたがホーム入居者とは常に作業中顔を合わせるので声を掛けられたり、入居者の行動に注意深く目を配らなければなりませんでした、時には文句や絡まれたりして暴力をされる事もありました。

私がこのホームに派遣社員として1年が過ぎると、仕事にも慣れて数人の入居者の方々と仲良くなり気さくな会話も出来るようになりました、しかし‥老人ホームに入居している方は残念な事に仲良くなっても1日経つと私の事を忘れてしまいます‥昨日は笑顔でおはよう!と挨拶を交わしたのに翌日は何だお前は!泥棒か!?誰かお巡りさん呼んで~!!と騒ぎ出します‥、正直ヘコみました‥。

そんなこんなでも我慢をしながら自分の生活の為に介護の仕事をしていました、しかし働き出して4年目の時に私はこの仕事はやっていけないと思った出来事がありました、ある日私はいつものように館内の清掃をして入居者達にご飯を食べさせて、洗濯やオムツの交換等を淡々としていました、そして私は昼休みに近くのコンビニに昼食を買いに行こうと財布を取りにロッカールームに行き自分のロッカーを開ける為に鍵を差し込むと、何故かロッカーの鍵が開いていました‥。

私がロッカーを開けると、私の財布は無く‥私は老人ホームの園長に事情を説明しました、その日は原因は分からなかったのですが、数日後犯人が分かりました、犯人は同じ介護職員でした‥、私と園長と財布を盗んだ職員の3人で話をすると盗んだ職員はストレスでやってしまったという事でした、私は気持ちは理解出来ましたのでこの時は何も音沙汰無く済ませたのですが、更に数日後‥また盗難が起きました。

次に起きた盗難は私の財布では無く、違う同僚の財布でした‥しかし盗んだ人物はナンと老人ホームの幹部職員でした‥、偶然にしても出来すぎてる現実に私はこの業界はダメなのかも‥と率直に思い、その日の翌日に退職願いを提出して辞めました、私は介護という仕事は大事な事だしこれからの日本はもっと老人が増えて大変になる事は分かっていますが、介護する側の人間が日々の疲れやストレスによりこうした犯罪行為をする現実を目にして‥一気にやる気が失せてしまいました‥。

私は介護の仕事に就く人間や現在就いてる人間に対して、国は介護職員の日々のモチベーションを上げる為に給与面の賃上げや休暇面の充実に全力で力を注いであげなければ必ず近い将来日本の介護は破滅する事と思いました、以上で私の介護の仕事の体験談をお話しさせて頂きました、失礼致します。

60歳女性勤務先は妥協せず選ぶ事必須

未婚で、成人の娘の母親です。

十数年前、協会支部総括事務局員をして勤務。

一年後に会社組織の統廃合に依り

残留或いは退職の選択肢で一年後の行方も

見通せず早期退職し

同時に、介護ヘルパー2級資格取得初任者研修

専門学校に通い始めました。

生活していく上で、無職とはいかず

平日5日はパートとして勤務し

学校へは、土日曜日月8回1日

8時間授業コースのプランで臨みました。

介護が必要な後期高齢者は

増加傾向にありますが、介護従事者の

数が随分少数であり、近い将来

ホームヘルパーの担い手が不足するのも

理解しておりました。

自分自身が健康体で介護者として

労働できる事、生計を立てる事にとても意欲が湧き

後期高齢者に寄り添い、

高齢者施設ではなく、短かでお宅での訪問介護員として

自立し生活出来るようにとも

決めておりました。

授業が、週2日という事もあり

凡そ半年間で資格取得。

授業は、休憩を1時間昼食に充てる以外は

びっしり講師の先生の話に

真剣に向き合い、学生時代が蘇り

予習復習に備えて、宿題も論文形式で

原稿用紙数枚にもわたるものは、

夜遅くまでかかり、大変さもありました。

授業で、実体験で教室から出て

屋外での実施授業も、

卒業をまじかになると、

福祉老人施設と訪問介護を

実体験し、本番その日その場の対応

授業で培ったものを如何に最大限

活かせるかでした。

しかし、現場はストーリーに沿ったものではなく

容易く柔軟に対処できず

焦り、戸惑い、介護者の人権や

文言を尊重しなければならず

到底独り立ち出来ない不安と

もどかしさが交差致しました。

認知症が進んだ方には

暴言や微暴力攻撃的な行動にも

打ち勝ち、自分を押し殺して

望まなければなりませんでした。

おしめ交換、入浴介助、食事介助

口腔ケア、対位移動、お話し相手など

仕事内容は泥濘みです。

過年、9年間母を病院や施設でお世話になり

永眠致しましたが、

ほぼ介護者ではなく、見舞いって顔を覗かす程度の

存在で、看護師、介護補助ヘルパー各位に

頭が下がり、感謝しかないと

考え頭を巡らせており

ハッと気づいたものでした。

免許取得直前に、未経験に近いものも

受け入れて頂けるヘルパーステーションに

面接し即採用頂きました。

しかし、訪問介護者は人員不足で

わたしの場合、単身で時間も自由がきき

稼働可能な時間帯でフルにシフトに入っていたのが

現状です。

やり甲斐はあります。

しかし、肉体的、疲労感もあり、

精神面が強くないとメンタルが駄目になる傾向にも

なり得るのです。

一稼働あたり時間給に換算すると1400円程度ですが、

ヘルパーステーションの雇用形態、条件に依って働き方にも

善悪し、恵まれている環境か否かで

勤続にも長短が出て、口コミ評判

自分との相性もある勤務先です。

地域にヘルパーステーションは、地域に大多数の

開業しております。

条件も吟味し

妥協なく選ぶ事も大切です。

33歳男性色々な企画をやると盛り上がりますよ!!

介護歴は今年で5年目になります。

介護福祉士をとって4年半が経ちました。

今は有料老人ホームで働きながらライター業を行っています。

今回はデイサービスにおいて施設内でイベントを企画した時の話を書こうと思います。

企画内容はデイサービスで高齢者の皆さんに音楽を楽しんでもらい、同時に手品も一緒に楽しんでもらい。

おやつには手作りのケーキを出した事です。

なぜ企画したかと言うと、もともと会社内でファミリーデイといって毎年一回利用者さんや利用者のご家族さん、ケアマネさんといった日頃お世話になっている人に感謝を込めてのイベントを開いていました。

そこで、会社で勤めて2年目の私が企画等をさせていただきました。

当時、『注文を間違える料理店』が話題となり、私も何か介護施設で高齢者が笑顔になったり、感動する事をしたいと思い企画しました。

まずは、予算をあまりかけれなかったので友達に頼みましたが、やはり交通費+お金を頂く感じになり探すのに苦労しました。

5件目くらいに元宝塚の人が、高齢者向けにも歌を歌えると言う事で少し金額が必要でしたが、施設長と相談しオッケーを貰いました。

そして、おやつ作りに関しては元ケーキ屋で働いていた人が居たので、その人にケーキ作りをダメもとでお願いしたらオッケーを貰う事ができました。

私、歌とケーキで充分だと思いましたが、もう一つ何か面白い事がないかと考え、知り合いに手品ができる人が居たので、声をかけてみると心よくオッケーが出ました。

料金も交通費代だけで良いという事で思わずガッツポーズです。

後は当日のスケジュールを組むのが大変な作業です。

午前中の要は入浴介助なのでスムーズに出来るようにくみ

ケーキも仕込まなくてはいけません。

ただ、1番よかったのが皆さんが協力的な事だった点です。

ファミリーデイの当日は働いているスタッフ所が他の事業所のスタッフまでが手伝いに来て頂けました。

この点はかなり大きかったです。

ただ、企画段階でかなり時間を使ったので

当日は夜遅くまで時間を割いたり、他のスタッフにも残業して手伝って頂いた点は今後、もっと大きな事をするには改善が必要です。

こういった企画をしたい新人の人は、ダメもとでやってみるといいと思います。

頑張った誠意が伝われば協力してくれる事がおおいです。

ただ、大変ですが。

終わった後のチームの結束力や達成感は最高です。

以上、介護施設での企画のお話でした。

40歳男寄り添うケアについて学ぶ

このエピソードは寄り添うケアについて私が学んだ話です。

特別養護老人ホーム(以下、特養)で私は介護職員として働いていました。

介護の仕事を始め数年経って知識や経験も身に付き、少しずつですがお年寄りに寄り添ったケアを形にできていることを実感し始めていました。

そんな頃のことです。

とても笑顔が素敵で愛嬌のあるおばあさんがいました。

ただ、そのおばあさんは重度の認知症を患っていたのです。

とはいえ、体のほうは元気そのもの。

少し足腰が弱いのですが歩くこともでき、食事も自分で食べることができます。

けれど、物事を理解したり判断したりすることは難しい状態でした。

例えば食事を配膳すると、食事とお茶を混ぜ合わせててしまったりします。

また、人形に名前を付けてずっと話しかけたりもしていました。

足腰が弱いのですが、そんなことお構いなしに立ち上がり歩こうともします。

何をしてしまうのか予想もできないところがあったのです。

私たち職員は目を離せないと判断して見守っていました。

そのおばあさんですが、何を思ってなのかはわかりませんが、普段座っている椅子から床に降りて過ごそうとすることが目立ち始めました。

床に降り足を前に投げ出し、お尻をすりながら興味のおもむくまま移動するようになったのです。

私たちは最初、その床に降りようとする行動自体を止めていました。

毎日掃除をしているとは言え、床に降りて過ごしているのは見栄えもよくなく汚れてしまいます。

椅子から床に降りる時に転倒してしまうことも容易に想像できました。

しかし、おばあさんにとっては何か理由があって床に降りるのです。

私たちに止められることがストレスになってしまい機嫌を悪くしてしまうことが増えてきました。

ついには私たちの制止を振り切り、無理やり床に降りようとすることも見られ始めたのです。

そこで、私たち介護職員はどうしたものかとミーティングを重ねました。

結論は、無理に止めることはやめようということになったのです。

床に降りたいのなら好きに降りていただこう。

ただし、床に降りて過ごしても問題のない環境を整えようと決めたのです。

具体的には、簡易の畳を床に敷き、座布団を用意しました。

ちゃぶ台のようなテーブルも用意し環境を変えてみました。

その後ですが、おばあさんは畳の上で本人の思うように過ごしています。

その環境が上手くマッチしたのでしょう。

職員に行動を止められることもないのでストレスも減ったようです。

以前のように温厚な様子で過ごしています。

認知症が重度になると私たちが思う「普通」が全く通用しなくなることがあります。

そんな時は一度、その「普通」を取り払って物事を考えてみることも大切なのだと私は学ぶことができました。

今回の話のようにおばあさんのしたい事にこちらが合わせていく。

これも寄り添うケアの一つの形なのだろうと感じています。

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